Fくんのお母さんより 小学校4年の3学期、息子は学校から帰ってくるなり、毛布をかぶってうずくまり、抜け殻のようになりました。担任の先生と合わなかったことが原因でした。親としては息子の心もとても心配だったけれど、“これからどうなるんだろう”とまず思いました。周囲に理解も得られず、どこに相談したらよいかもわからず、先が全く見えない状態でした。その中で鈴蘭学園の存在を知り、すぐに相談をしたとき、やっと気持ちを分かってもらえたと大泣きしながらお話させてもらったことを覚えています。 息子が鈴蘭学園に通うようになり、息子は人が怖く、不安やこだわりも強く、ご迷惑をおかけしたと思いますが、嫌で休むことは一度もなく、息子も日々葛藤しながら自分のペースで少しずつ自信や許容範囲を広げていったように思います。学校以外にもすごせる場があったことは、学校に行けていない自分はダメだという思いを持っている息子にとって安心に繋がり、息子を理解して対応して頂けたこと、本当にありがたかったです。そして息子自ら勉強しようという気持ちになった時に息子を理解してくれる先生と勉強できたことも息子の自信につながったと思います。 親にとっては不安になる事が何度も訪れましたが、そんな時いつでも相談できる場があったことはとても安心できました。振り返ると色々考え、行動し、親としても深みが増したように感じます。これからも色々な事があると思いますが、息子なりに葛藤しながら前に進んでいけるのではないかと息子を信じられています。 5年間という長い間、本当にありがとうございました。 |
Sさんのお母さんより 小学校高学年から行き渋りや、保健室登校を経験していた娘は、不安を抱えたまま中学校に入学しました。仲良しのお友達と同じクラスだったこともあり、時々学校を休むことはあっても、なんとか通学を続けていました。雲行きが怪しくなったのは、2年生に進級した後。仲良しのお友達全て、クラスが別れてしまいました。勉強が苦手な娘は授業中に当てられて、上手く答えられなかったり、人前での発表に苦痛を感じていました。学校に行く楽しみは全くなく、一学期の途中で『明日から学校に行かない』と私達に言いました。その頃の娘は、無表情で生きる希望を失ったかのようでした。私達は、すぐに学校に相談しました。学校のカウンセラーに会って、相談することを勧められましたが、娘は拒否しました。学校のいくつかの提案の中に、数カ所のフリースクールがあり、私は矢部駅から徒歩一分の鈴蘭学園を最初に見学に行くことに決めました。なぜなら、我が家から通いやすそうだという理由です。しかし、嬉しいことに利便性だけではなく、鈴蘭学園のアットホームな雰囲気や中村先生の太陽のようなお人柄は、ここに決めて良かったと思わせてくれるものとなりました。私と夫は、遅れている勉強を取り戻したい気持ちが強かったですが、中村先生はそんな私達にストップをかけました。それはとても正しい判断でした。娘は楽しく鈴蘭学園に通い、友達や先生方と楽しく会話やゲームをして過ごすことで、表情が豊かになって行きました。家では洗濯物を干したり、料理をしたり、この一年半の間に大きく成長しました。気楽に通える鈴蘭学園と、友達のように何でも話せる中村先生が、娘を変えてくれたと思います。 一年半、大変お世話になりました。まだ、下に二人娘がおりますので、なにか困ったときはまたお世話になるかもしれません。
Fくんのお母さんより 中学2年の夏休み前、腹痛を訴え学校に行くことができなくなっていきました。 家でも昼間は寝ているだけ、何をする気力もなく夕方になると起きだしてくる。そんな生活の中、本人もストレスをため家の中でいつもイライラしている状態でした。その時はこれからの生活について話し合おうとしても面倒くさいの一点張りでした。また、家にいるだけの生活は本人もストレスのようでそのはけ口は家族になり、私も兄弟たちも非常に疲弊していました。鈴蘭学園は知っていましたが、本人に行く気がない以上どうすることもできず私にはその時遠い場所でした。 3年生に上がる少し前から少しずつ話ができるようになり、このままではいけないと思っていることを打ち明けてくれました。そして、鈴蘭学園の話を持ち掛けると行ってみたいと言ってくれたのです。そのころからスクールカウンセラーとの面談や通院なども行くことに同意をしてくれて、本人の気持ちが少しずつ前を向いて行きました。初めのうちは送り迎えもする、鈴蘭でのお昼ご飯はコンビニでおやつも含め好きなだけ買うといった状況でしたが、鈴蘭での生活が落ち着いてくると付き添いなしに電車で通い、私が作ったお弁当も持って行ってくれるようになり無駄遣いも減りました。自分本位だった生活が少しずつ変化していきました。これも鈴蘭学園で中村先生やお友達と会話したり楽しい時間を過ごせるようになったためだと思います。 不登校の子どもにとって家族以外の人との関りというのはどれだけ大切だったかと痛感しました。本来であれば学校へ行ければよかったのでしょうが、それができなかった息子を救ってくれたこと、本当に感謝しています。息子だけでなく、家族も救われました。 様々な背景をもったお子さんが集まる場を提供することは簡単なことではないと思います。中村先生はいつも優しい笑顔で大変さを感じさせず包み込んでくれました。これからも親子ともに安心できる場所をよろしくお願いいたします。
Mさんのお母さんより とても明るかった娘が中学に上がり、次第に表情が暗くなり、おしゃべりだった子が話さなくなってしまいました。自傷行為をし始め、1年の後半から部活の顧問とうまくいかず、部活をやめ、1年の3学期から行ける日が少なくなり、2年に上がり部活の顧問が担任になってしまいそのまま不登校になりました。 見る影もない我が子をどう扱っていいかもわからず、とにかく学校が嫌なら中学なんて行かなくていいよ!とは言いましたが、私もこのままで良いのか、自問自答するとても不安で苦しい日々でした。どうにかなっちゃってる我が子に気の利いた事もできず、無力な自分に悔しい気持ちでいっぱいでした。 そんな生活が数ヶ月続き、少しずつ、娘が誘いに乗るようになり、外食に出れるようになり、買い物に行けるようになり、少しずつ外に出れるようになった為、ネットでフリースクールをみつけ、すずらんに連絡させていただきました。 中村先生に初めてお会いした時のとても明るい先生のなんとも言えない安心感、泣きそうになってしまい、必死に我慢して面談させていただきました。「今はゆっくり休むときだからね~」「ゆっくり休めば半歩前に進むことができるから」とおっしゃって頂き、涙をこらえるのに必死だったこと今も忘れられません。 娘が一番しんどかったと思いますが、親も本当にしんどい経験になりました。ですが、自分自身の凝り固まった考えを見直す大切な機会になりました。娘もこの経験を活かせる日がくると思います。 仲良くしてくださった仲間、支えてくださった先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。 |
Hさんのお母さんより 中村先生、桑原先生には親子で大変お世話になりました。 息子が中学1年の2学期から学校に行かなくなり、まるで別人になってしまったかのような息子と向き合うことは、その当時本当に辛く感じていました。そのような中で、1年生の2学期後半に鈴蘭さんに辿り着いた時は藁をもすがる思いで一杯でした。親もまだ現実を受け止める余裕がありませんでした。
Yさんのお母さんより 娘はすずらん学園へ約3年通い、徐々に中学校へ行けるようになりました。 また、昔からある学校でなくとも、受け入れてくれる所がたくさんあるということを、知ることができました。 先生方には本当に感謝しています。
Aくんより 中学生から3年間通いました。 最後に
Aさんのお母さんより 息子は小学3年の頃から不登校になりました。
Yくんより 僕は、放課後デイサービス、リリーベルを卒園し、お仕事を始めています。 僕は、小学校の時、ひどい、いじめを受けていました。 高校1年生の時、リリーベルに通いました。 そして約3年ぐらいリリーベルの理事長や先生や友達と リリーベルに居ると、心があったかくなって、 リリーベルそしてリリーベルのみんな、
Yくんのお母さんより 息子は、家族の問題や学校でのいじめなどがあり、小学4年生の時、トゥレット症候群の診断を受けました。肉体的、精神的な苦痛があり、学校に行けなくなりました。発症前は、いつも公園でお友達と遊んでいましたが、発症後は、外に行けなくなりました。 色々な薬を試させて頂き、症状が軽くなってくると、退屈になり、お友達と過ごせる場所を探しました。 小学校、中学校では担任の個別授業と青少年センター、フリースクール、放課後デイサービスなど数件の施設に通わせて頂きました。 趣味の話が出来るお友達と過ごしたかったのですが、なかなか楽しく過ごせる場所に出会えませんでした。 高校も馴染めず、担任の先生が個別授業をして下さったので、放課後デイサービスを探し、鈴蘭学園さんの放課後デイサービス『リリーベル』さんに行かせて頂きました。 『リリーベル』は、息子が求め続けていた、お友達と趣味の話が出来て、楽しく過ごせる場所でした。先生は優しく見守り、細やかに気遣って下さるので自分の気持ちを伝える事が出来なかった息子が、いつの間にか先生に相談まで、出来る様になっており驚きました。 『リリーベル』に通い始め、楽しそうで、明るく元気な息子の姿を見る事が出来る様になり、感謝の気持ちでいっぱいです。息子から『良い場所に行かせてくれてありがとう』と言われた時には、胸が熱くなりました。 中村理事長は、親の心配までして下さり、定期的な面談で励まして下さいました。 就職に必要となるスキルを、日々の活動にさりげなく組み込んで下さり、息子も成長出来たと感じております。 卒園となり、とても寂しいですが、皆さんが応援して下さり、息子もお仕事を頑張れると思います。 これからも良い場所が続いて下さると、たくさんの親子が救われる事と思います。 |
Kくんのお母さんより 息子は、中学1年生のゴールデンウィーク明けから、学校に行けないと言い出しました。いわゆる不登校になりました。学校に行くのが怖いと言出だし、約2ヶ月程家にずっといる息子を親もどうしていいかわからなかった時に、インターネットでフリースクールの鈴蘭学園を見つけ、すぐに鈴蘭学園に電話をし、一度見学に来てみて下さいと、とても気さくに対応をして下さり、息子を連れて鈴蘭学園へ足を運びました。 |
Tくんより 鈴蘭学園を卒業した僕は高校に進学しました。高校の入学式に出席している僕を、過去を知っているもう一人の僕が、不思議そうな顔して見ているような気がしました。 僕は幼稚園も小学校も大嫌いで、それでも仕方なく通いました。中学校に入学して、遂に大爆発を起こしました。その後は布団とスマホだけが友達でした。大嫌いの理由は言葉にできず、大嫌いだったということだけしか言えなくて、幼稚園から中学校にかけての僕は最悪でした。 でも、そんな僕の未来を切り開いたのは鈴蘭でした。鈴蘭へは時々行って、お昼食べて帰って来るだけで、鈴蘭の何が良かったかと言うと、何も強要されないということでした。隠れ家みたいな校舎の中の、何も無い空間に、時間だけがいっぱいありました。そこでいろんなひらめきがあって、今の僕にたどり着きました。 実は、鈴蘭に決まるまでに、いくつかの学校をまわりましたが、直感で鈴蘭がいいなと思いました。隠れ家みたいな鈴蘭は当時の僕にぴったりでした。卒業してみると、鈴蘭には時間と空間のほかに夢と希望がありました。
Yくんのお母さんより 中一の夏休み前から不登校になり、ふさぎ込んでいた子供に同世代と触れあって欲しいと思い、フリースクールを探し見つけたのが鈴蘭学園でした。 子供は次第に本来の明るさを取り戻し、中学生らしくお友達と遊びに行くこともありました。高校受験も経て卒業式にはすすんで参加しました。 親子ともにつらいときもありましたが、中村先生が笑顔で支えてくださり、学習指導の先生も子供に合った方法で指導していただきました。 学校へは行けませんでしたが、心身ともに大変成長した中学時代でした。鈴蘭学園に通わせて良かったと思っています。 ありがとうございました。 |
Oさんのお母さんより 思いおこせば 「すずらんはあったかかった〜」に、尽きてしまいます。 学校に違和感を感じ登校しぶりを繰り返し、6年生で不登校になった娘。鈴蘭とは4ヶ月足らずのご縁でしたが、混乱の中で中学受験を決めた娘に桑原先生をはじめスタッフの皆さんが一丸となって応援してくださったこと、忘れません。鈴蘭で中学生のお兄さん達と過ごす時間は全力で楽しかったそうです。 卒業の日、「皆には もう帰ってくるなよ!って言うんだけどさ、○○ちゃんはいつでも帰っておいで!」と泣笑いしてくださった中村先生の魔法の言葉がお守りとなり、新生活、混乱しながらも娘は歩いています。 鈴蘭学園との出会い、心から感謝いたします。
Oさんより 中村先生や、色々な先生、すずらんでの友達が私を楽しませてくれました。 |
Kさんのお母さんより 理不尽ないじめにより、好きな事すら出来ない程無気力で毎日泣いていた娘。
Mさんのお母さんより 娘は中学2年生の3月から、中学校卒業までの約1年間、鈴蘭学園にお世話になりました。横浜線矢部駅から数分のところにある1軒のお家が鈴蘭学園です。ピンポーンと押すと、先生の「はーい、どうぞ」と言う声が直に届いてくる懐かしい雰囲気のおうちです。
Kさんより 私が鈴蘭学園に通い始めたのは中学2年の春で、1年の冬に人間関係が理由で不登校になったことがきっかけでした。その当時私は人間不信に陥っていたので、通い始めた当初は周りとうまく接していけるのかとても不安でしたが、鈴蘭学園の先生方やスタッフの方々に支えられて、いつしか鈴蘭学園が自分の居場所になっていました。
Oくんより 僕は中学1年の時から不登校になりました。最初は一日中家に居てテレビやゲーム中心の生活をしていました。その後、知人から鈴蘭学園のことを聞き親と面談に行きました。自分は最初はすごく警戒していて「そんなところ行きたくない」と思っていましたが、面談が終わりフリースクールの体験をしてみると先生や生徒さんたちが声をかけてくれてすぐに馴染むことができました。 |
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